フタバサウルス・スズキイ(フタバスズキリュウ) Futabasaurus suzukii

名前の由来

化石が発見された地層名「双葉層」と発見者の鈴木氏の名前にちなんで命名された

科名

エラスモサウルス科

分類

爬虫綱、双弓亜綱、鰭竜類

生息地(発見地)

日本

時代

約8500万年前(白亜紀後期)

全長

約6〜9m

体重

不明

食性

魚食

解説

フタバサウルス・スズキイ(和名:フタバスズキリュウ)は、約8,500万年前の白亜紀後期、日本近海に生息していたエラスモサウルス科に属する首長竜です。
日本国内で化石が初めて発見された首長竜として知られ、環太平洋地域で全身の約70%がまとまって採集されたクビナガリュウの化石は極めて珍しく、世界的に見ても非常に貴重な標本です。

一人の高校生が起こした世紀の大発見

フタバサウルスの発見は、当時の日本の古生物学界の定説を覆す、劇的な出来事でした。

発見の経緯と衝撃

発見は1968年(昭和43年)、当時高校生だった鈴木直(すずきただし)氏が、福島県いわき市を流れる大久川の河岸で、サメの歯の化石を探している最中に、見慣れない巨大な骨を発見したことに始まります。

この発見は日本の古生物学界に大きな衝撃を与えました。
当時は、日本列島のような小さな大陸では、首長竜や恐竜など中生代の大型爬虫類の化石は発見されないと考えられていたためです。
フタバサウルスの発見は、この定説を覆し、日本の化石発掘ブームのきっかけとなりました。

38年の時を経て正式記載

フタバサウルスは全身の約70%の骨が採集されましたが、比較できる良い標本がなかったため、長らく新種として断定できませんでした。
発見から38年後の2006年、国立科学博物館の研究チームによって、ようやく新属新種の首長竜と判明しました。
研究に携わった佐藤たまき氏は、この化石を「カレ」と呼ぶほどの熱意を持って臨んでいたとされます。

正式な学名は、発見地の「双葉層群」と発見者の「鈴木さん」に敬意を表して、Futabasaurus suzukii(フタバサウルス・スズキイ)として記載されました。

「フタバサウルス」をめぐる混乱

実は、この首長竜に名前が付けられる前、1990年に双葉層群産のティラノサウルス類とみられる獣脚類にも「Futabasaurus」という名称が提唱されたことがありました。
しかし、これは学名に必要な記載文を伴わない「裸名」(nomen nudum)であったため、2006年に首長竜が正式に記載された際に問題になることはなく、この名前は晴れて首長竜のものとなりました。

ユニークな身体的特徴と進化上の重要性

フタバサウルスは、首長竜の中でも特に首が長いエラスモサウルス類の仲間です。
北太平洋地域で最も古く原始的な種であり、首長竜の進化を研究するうえで非常に重要な鍵を握っています。

フタバサウルスは、他のエラスモサウルス科の種に比べて、いくつかの固有の特徴が識別点として確認されました。

頭骨の特徴

左右の眼窩(目の穴)の間隔が非常に広い。

短い頸椎

エラスモサウルス科としては、首の骨(頸椎)の一つ一つが比較的短い。

ヒレの骨

胸ビレの上腕骨と、後ビレの大腿骨の間に、長い骨(橈骨と脛骨)が接している。

鎖骨と間鎖骨

鎖骨と間鎖骨の接合部分の形状が独特である。

これらの固有の特徴が、フタバサウルスが世界でも他に類を見ない、新属新種の首長竜であることを証明する決め手となりました。

サメの襲撃と古生物学の遺産

化石に残された事件の痕跡

フタバサウルスの化石が発掘された際、付近からは80本以上ものサメの歯が発見されました。
さらに、フタバサウルスの骨には、これらのサメに噛まれたと思われる傷跡も残っていました。

これが、生きたフタバサウルスがサメの群れに襲われたのか、あるいは死後にその亡骸を食べられたのかは定かではありませんが、当時の日本の海で繰り広げられた厳しい生存競争の様子を、生々しく今に伝えています。

「クビナガリュウ」という言葉の誕生

フタバサウルスの発見は、日本語の古生物学にも大きな影響を与えました。
「クビナガリュウ(首長竜)」という日本語は、フタバスズキリュウの発見に伴って長谷川善和氏が作った言葉であり、非学術の範疇での普及に大きく貢献しました。

化石と研究の保護

フタバサウルスの化石は、日本の古生物学における重要なアイコンであり続けています。
現在、そのレプリカは、いわき市石炭・化石館、国立科学博物館など国内4か所で展示されており、研究の保護と教育に役立てられています。
なお、近隣で見つかっている他の首長竜の部分化石も同種と推定されています。

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